2018年6月25-28日、五島列島巡礼と小値賀諸島の文化的景観

2018年6月25-28日、五島列島巡礼と小値賀諸島の文化的景観

長崎県の西、朝鮮半島との中間に位置する五島列島、対馬列島、平戸などは
歴史の教科書にでてきたが、まだ行ったことがないところであった。古くは
遣隋使、遣唐使が島伝いに博多、長崎、五島列島、対馬列島、朝鮮半島、黄海、
渤海を通り、長安にたどり着いた。1549年信長の時代にフランシスコ・ザビエル
が、キリスト教布教のため日本にきたが、秀吉の時代1587年にキリスト教は禁止
された。しかし、九州にはキリシタン大名もおり、潜伏キリシタンがいたらしい。
五島にも九州から移り住み急傾斜の山地を開墾し、明治6年に禁教令が解かれる
まで、キリスト教信仰を貫いた人々がいた。私は、無宗教だが、神を信じて
生きることもそれはそれで幸せな人生だと思う。今回、3泊4日で五島に残る教会
と遣隋使、遣唐使が安全祈願した神社などを見てまわった。

長崎へ来たのはは4回目である。長崎へは空路できたが、海港までバスできた。先頭
部分が赤く塗られている船がこれから福江島へ行くジェットフォイルである

長崎港で30分ほど時間があったので、長崎駅まで徒歩で往復した。新幹線はまだ
長崎まできていない

3千人ともいわれる九州本土からここ福江島にきたキリスト教信者が、上陸した
六方の浜近くの浦頭教会

堂崎天主堂。秀吉が禁教令を出してから10年後、1597年違反者26人が処刑された。
後にカトリックの本山バチカンからこの26人に聖人の称号が与えられた。26人の中
の一人がここ福江島出身のヨハネ五島である。彼の銅像が堂崎天主堂の前に建て
られている。この時代の宣教師の中に医術の心得にある人がいて信を得ることを
していたようである

久賀島にある旧五輪教会へ行った。この写真の左側の建物である。今は教会では
ないので、旧五輪教会と呼ばれる。この五輪というのは土地の名前であり、一部
苗字として使われている。五輪真弓という7歌手は久賀島出身とのことである。

旧五輪教会の内部である。鉄川与助氏が設計、建築した木造教会ではないので、
内部の撮影は自由である

奈留島の江上天主堂。内部は撮影禁止なので中の印象はうすい。ここに限らず
内部撮影禁止の教会の印象は薄い

若松島にあるキリシタン洞窟。岩かげの遠くから見えにくいところにイエス像がある

天気は悪かったが、これは若松大橋からの眺望

中通島にある青砂ケ浦教会。鉄川与助が設計、レンガは他の島から運び、建設は信者
が行った。この建物が完成したのは1910年(明治43年)で、3回目の建て替えである

宿泊したマルゲリータホテルの近くの曽根カトリック教会

今は無人島の野崎島に残る旧野首教会。昭和40年台には住民が居なくなった住み
にくい島であるが、秀吉の時代以降信仰に生きた人々ここに教会を建て祈りを
ささげた

教会の近くの段々畑。今雑草がないのは野生の鹿が食べるため。この島で水田は
作れない。江戸時代、コメは福江島でしか採れなかった

50年前に捨てられた廃屋。この野崎島の印象が強かった

これも鉄川与助が設計、施工した大曾教会

矢堅目岩の近くにある冷水教会。また、矢堅目の塩工場もある

4日目の朝、マルゲリータホテルの部屋のベランダから見た曽根カトリック教会の
十字架

坂本龍馬の海援隊が所有するワイル・ウエフ号が、慶応2年中通島のこの海岸で
遭難した。龍馬は仲間の死を弔いこの地に墓を残した

現在は中通島と橋でつながっている頭が島の頭が島天主堂。この島に空港があるが、
ジェットフォイル就航後利用者が減少したため、今は閉鎖している

頭が島天主堂近くにあるキリシタン墓地

JR長崎駅近くの西坂にある26聖人記念館。1587年秀吉によって発布されたキリスト教
禁止令に背いたとして、1597年26人の人々が処刑された。26人の中に6人の外国人
宣教師が含まれているが、当時のローマ法王庁は、江戸時代末期の薩英戦争、馬関
戦争のような報復攻撃はせず、26人に聖人の称号を与えた。300年後のヨーロッパ
諸国の国力は、大きくなったと実感できる。それに比べて徳川幕府の統治する日本
の国力は見劣りする、と感じた志士が多数いたことは、日本人の幸せである

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