11月29日

初日、開国の街下田へ行った。東京駅から特急で3時間かかった

ペリーが上陸した港にペリーの銅像があった

1854年、2度目の来日のとき下田に上陸して批准書の交換が行われた了仙寺までの
道をペリーロードといい、ペリーはこの川沿いに10分程歩いた

上陸した港から了仙寺までの途中に長楽寺があり、1855年この寺でプチャーチンと
日露和親条約の批准が行われた

1854年、日米和親条約批准が行われた了仙寺

黒船従軍画家が描いた条約批准時の儀式の模様。複製の絵が了仙寺に掲げられている

宿泊したのは弓ヶ浜の国民宿舎だが、この写真はとなりの浜。名前は忘れた

宿舎から見た弓ヶ浜の商店街
11月30日

2日目はなまこ壁の町松崎へ行った。ここはかって養蚕業で栄えたが、現在は
桜もちに使用する桜の葉の塩漬けが主な産業らしい。桜もちは美味しかった

松崎の次に土肥金山へ行った

鉱道には多数の人形が置かれていた。外にも人形がいる

次に修善寺へ行った。修善寺の町名になっている修善寺山門。左手前に独鈷の湯がある

修善寺は京都の景色まねて竹林や赤い橋を整備している

中心を流れるこの川に桂川と名づけている

これも京都の景色。今年はどこも紅葉していない

源頼家家臣十三士の墓。2022年の大河ドラマの中心人物になるらしい

修善寺から2日目の宿泊地戸田へ向かう途中だるま山レストハウス展望台からの富士山
いつ見ても美しい
12月1日

宿泊したときわやからの戸田湾。夕食のたかあし蟹は期待したほどおいしくなかった

1855年に日露和親条約を批准したプチャーチンの銅像が戸田造船郷土博物館にあった

プチャーチンとこの戸田の関係は劇的なもので、そのいきさつはこの写真の安政東海大地震
とデイアナ号に書いてある通りである。プチャーチンの子孫とこの戸田の交流は2020年現在
も続いている。因みに1855年の日露和親条約では北方4島は日本領と決めている

戸田から三島へ行き三島神社に参拝し、お祓いを受けた

三島神社の本堂。ここでお祓いを受けた

三島駅前の楽寿園へ行った