2017年3月、広川町の堤防見学後栖原温泉に1泊、西門院に1泊し高野山を見た
1854年11月5日、和歌山県沖を震源とするマグニチュード8.4の大地震が起きた。
この地震に伴い発生した大津波を濱口儀兵衛は、自分の稲束に火をつけて海近く
に住んでいた人々に危険を知らせ、多くの人々を助けた。文明の進んだ現代でも
役に立つ知恵である。濱口儀兵衛の偉大なところは、将来再び来るであろう
大地震に備え、私財を投じて広川の南側に高さ4.5mの堤防を築いたところである。
1946年に再び和歌山県沖にマグニチュード8.0の大地震が来たとき高さ4.0mの
津波が発生したが、広村は浸水を免れたという。

この写真は、4.5mの堤防と堤防を海水から守るために植えた松の木である

この堤防は史跡となっている

広川町の南隣は醤油発生の地である

1日目は湯浅町の北泊まりにある栖原温泉に泊まった

翌日は高野山に向かった。南海電車でかなり登ったが、最後はケーブルカーで 標高850mまで登った

まず奥の院へ行った。宿泊したのは西門院という宿坊である。フランス人の
団体が泊まっていた。朝のお勤めにフランス人も参加していた

3日目は壇上伽藍へ行った。ここも外国人が多かった

壇上伽藍の中門の胸にとんぼが止まっている四天王

徒歩で大門まで行った。高野山は標高が高いので少し寒かったが
木は思ったより少なく高野山は明るい感じだった