2012年9月28日−10月6日

ウズベキスタンの旅

9月28日からウズベキスタン9日間の旅に参加した。世界史で習ったサマルカンドやタシケントを 廻る旅であるからである。この写真は、ヒワの旧市街(イチャンカラ)の外壁に掲げられた英国から 日本の間に存在する広大なユーラシア大陸を横断する3筋のシルクロードの中央部に大昔から 存在していたのがウズベキスタンであるという地図。この都市国家は紀元前8世紀から存在し、 アレキサンダ大王をはじめ多くの征服者に従いながら、ソ連崩壊後1992年に独立した。約44万 平方キロの国土に2800万人が住んでいる。

  • 2日目
  • 首都のタシケントは、人口280万人である。タシケントのシテイパレスホテル(マルカジイ)の 前の通り。自動車が多いのに驚いた。アメリカ車、中国車、韓国車が多く日本車は 見当たらない。タシケント以外の地方都市には、信号がない交差点が多い。

  • 2日目
  • タシケント市からサマルカンド市に向った。 サマルカンドは、紀元前8世紀に栄えていたソグド人の国ソグデイアナの 首都である。私の世界史の教科書にも出ていたのを覚えている。

    この写真は、グルエミール廟である。13世紀にサマルカンドを首都として チムール帝国を建国したチムール、チムールの師ミルサイード・ベリケ、 孫のウルグベクの3つの墓石が安置されている。丸い屋根と門の前面は陶器 である

    内部はいろいろだが、これは紙でつくられている

    これはサマルカンドのハイライトレギスタン広場。中央(左)はテイラカリ神学校、 右がウルグベクの神学校、この写真にはないが、左にシェドル神学校が ある

  • 3日目
  • シャーヒンダ廟群の全景。左に見えるのは、ウルグベクの門である。 チムールゆかりの人々の墓で女性の墓が多い。

    作りはグルエミール廟と同じであるが、使われている模様はさまざまで 美しかった

    8世紀に唐から伝わった紙の工房を見学した。砂漠のオアシスに生育する 桑の木の皮を原料として和紙と同様にして作っていた。その工房のまわりは オアシスの風情が残っている。ゾロアスタ教は特に、火と水を大切にする 教えで水流にごみを絶対にすてないそうである。もう1つ緑の芝生には 立ち入らないことも守っている

    アフラシャブ博物館の後ろに広がる、昔のサマルカンド市街地の跡で 今は何もない

    ビビハニムモスクである。チムール第一夫人の墓である。

    サマルカンドのバザール。野菜の種を求めて広いバザールを探し回った。 ある1画へ行くと、同じ着衣の女性だけになり、1つの種族だけのバザールも あるではないかと思った

    サマルカンドのチムールの坐像

  • 4日目
  • サマルカンドからブハラに向う途中、チムールの出身地シャフリサブスの 街を見た。この写真はこの街に残るチムールのアクサライ宮殿跡である

    チムールの立像前にて。国の内外から観光客がきている。チムールの騎馬像が タシケントにあり、チムールはこの国の英雄である。チムール帝国は今の ウズベキスタンの7-8倍であった

  • 5日目
  • ブハラのカリヤンモスクのミナレット

    ラビハウス。ブハラの中心にある昔からの池で昔は洗濯もしたらしいが 今もきれいな水をたたえている

    ブハラハン国最後の王の夏の宮殿スイトライ・マヒホサの正面である。 20世紀に完成したので新しい。ロシアの影響を受けている

    アルク城の近くにあるハン専用のモスクであるハラハウズモスク。 20本の木の柱が特徴である

  • 6日目
  • この日は終日砂漠の悪路をブハラからヒワに向けて走り続けた

    この写真は、ヒワ近くのアムダリア川である。ヒワは全長2500kmのアムダリア川沿い の街で、カラクム砂漠の出入り口として紀元前から栄えていた

  • 7日目
  • ヒワのイチャンカラ(内城)を囲む壁。ドブロクニクのように壁の上を歩くよう にはまだ整備されていない

    ヒワで1番大きな宮殿クニャアルクの中心部である。ここでハンが客に謁見した。壁 の陶板と木の柱が特徴でウズベキスタン各地の存在する宮殿と同じである

    10世紀に作られた213本のも木柱に支えられたジュマモスク内部である。石や土 の建造物が多いオアシス都市内部が木造なのはめずらしい

    イスラームホッジャミナレット

    ヒワでクニャアルク内の見張り台から早朝日の出と、夕刻日の入りを楽しんだ。 これは砂漠に没する形の日の入りの瞬間である

  • 8日目
  • 早朝ヒワを出発して、タシケントに戻った。タシケント中央駅前である。 概観は近代都市である

    タシケント中央駅を背にして街の方を見た写真である。手前の右手に階段があり 地下鉄の入口である。地下鉄があるのはタシケントだけである

    ウズベキスタン工芸博物館の入口である。絨毯、刺繍、帽子、陶器、木彫り品、 装飾品などを展示している

    ウズベキスタン歴史博物館へ行った。これは、ウズベキスタンのテルメズの近くで 発掘されたガンダーラ仏像である。ウズベク人はペルシャ人の流れをくみ、 ゾロアスタ教(拝火教、多神教)を信仰していた。BC1世紀インド(クシャン王朝) から仏教が伝えられた。この仏像がそれを裏づけた。AD7世紀にイスラム教も 入ってきた。そして11世紀にイスラム教国になった。その後、キリスト教も 伝わったが、19世紀にソ連の支配下に入り、キリスト教国になった。1992年 独立して、イスラム教国になっているが、街を歩いている女性は被衣を つけていないし、お祈りの声も聞こえてこない

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